「アメ」と「ムチ」は上手に使えば効果バツグン
社会に出てから始める勉強のなかには、ビジネス上の必要に迫られて始めるものも少なくありません。
それが自分の興味や関心に沿うものであればいいのですが、あまり面白くないと思いながらも、「仕方なく」勉強を続けざるをえないこともあるものです。
このようなケースが前述の「集中力が続かない」ケースとちがう点は、問題が一日何時間勉強を続けられるとかいうところにではなく、ひとつのテーマについての勉強が長期間にわたって継続できないというところにあることです。
資格試験の勉強を始めたものの、一週間もしないうちに嫌になったり、勉強のつもりで読み始めた本がいつまで経っても読み終わらない、というようにです。
この状態は、勉強の成果そのものに大きな影響を及ぼすだけに、深刻な問題です。
いやいやではあっても、続けていくうちに理解がすすみ、徐々に成果があがってくるのが勉強というものです。
ところが、勉強そのものが続かないわけですから、理解は進まず、成果も上がらないということになります。
これはなんらかの手を打たなければなりません。
私自身、勉強は興味や関心のあること、楽しめることをやるに越したことはないと考えています。
その意味では、市川教授の調査結果に賛同できます。
しかし同時に、ある抵抗も感じています。
というのは、勉強の動機づけを本当に求めているのは、じつは、必要に迫られてあまり楽しいと思えない勉強をしなければならない人たちだからです。
プライドや競争心で勉強しているようではだめ、勉強によってメリットを求めるようだからだめなどという調査結果をつきつけられても、現実に問題に直面している人は立つ瀬がありません。
その意味で、教育心理学の立場からは内発的動機のほうが理論上好ましいのかもしれませんが、精神分析や精神医学の治療理論の流れ、国際的な教育政策を見る限り、現在は、内発的動機より外発的動機のほうを重視する方向に傾いていることは見逃せません。
性欲論や死の本能論でも知られる精神分析の祖・フロイトが、本能的なエネルギーの強さを説き、人間はその内なるエネルギーに動かされているのだという典型的な内発論者だったのは周知のとおりです。
ところが、その後の精神分析の理論では、このフロイトの本能欲動理論は否定的にとらえられるようになっており、逆に市川教授が否定的に取り上げている関係志向、自尊志向、報酬志向が人間の本質的な動機なのだと考えられるようになってきています。
つまり、精神分析理論では、教育心理学の理論とは逆に、内発的動機より外発的動機が重視されるようになってきており、私自身もこれを軽視すべきではないと考えています。
この傾向は、精神分析の理論にとどまりません。
精神医学の世界でも外発的な動機づけの人気が高まっています。
一時は捨て去られた行動主義の考え方が息を吹き返し、その考えに基づいた行動療法による治療法が注目されているのはその証左です。
行動主義というのは、心理学の世界で一時主流となっていた理論です。
心理学でありながら、観察対象を人間の「心」ではなく「行動」に置いています。
その客観性の高さから一時はかなりの人気を博していましたが、心を無視しているという批判が強まり、下火になっていました。
ところが、90年代以降、その行動主義に基づいた行動療法が再び注目を集めているのです。
患者の心の内面にアプローチしていくよりも、アメとムチを用意して行動を変えていくほうが短期間で治療が済むうえ、治る確率も高いという結果が得られているためです。
少なくとも、病的な人間を社会適応させていくためには外的な動機つけが重要なのだという考え方に、精神医学界全体が変わりつつあるように思います。
この考え方でいくと、やる気があるかないかよりも、「実際にやる」かどうかが問題となります。
やる気が出るまで勉強をせず、いつまでたっても勉強に手をつけられないというのは、とくに社会に出てからの勉強ではありがちなパターンです。
やることを決めて、実際にやることを先決とする行動療法の考え方は、そんな人たちが行動を起こすうえで大きな力を発揮するように思います。
なお、教育政策においても、日本では内発的な動機つけ理論に基づいて、生徒のやる気を引き出し、勉強を面白いものと感じられるように、ゆとり教育や総合的な学習の時間を設けるといった政策が取られていますが、諸外国の場合、むしろ行動主義に近い教育政策をとっています。
たとえばアメリカでは、小学校や中学校にも卒業試験が課されるようになっています。
試験重視、宿題重視の流れはレーガン政権以来のもので、政権が変わるごとにますます強化されています。
さらに1999年の年頭教書では、「教科内容を修得しないまま上の学年に上がることを許しておけない」と、エスカレーター式進級の中止まで打ち出しています。
試験重視、家庭学習重視で教育を立て直したのはアメリカだけではありません。
イギリスも1988年から、教育改革法に基づいて全国共通のナショナルカリキュラムを導入し、それに基づく全国共通テストを行っています。
その他、近年理数教育の充実で国力を立て直した国をあげたら、枚挙に暇がありません。
これらの国すべてに共通するのは、宿題や試験の多さであり、結局のところ、子どもには「ムチ」をもって勉強させるのが効果的という考え方に変わってきています。
当然「アメ」も用意されていて、学力エリートは徹底的に優遇されます。
その結果、いわゆるブルーカラーと知的エリートの賃金格差はどんどん開いている現実があります。
このような流れを見るかぎりは、日本の教育学者も、もっと外発的動機に注目すべきだといいたくなるところです。
私自身、市川教授の報告では有利とされる充実志向 − 訓練志向 − 実用志向の方向性を否定するつもりはなく、とくに社会に出てからの勉強では、そのような方向性で勉強する人が少なくないことは承知しているつもりです。
しかし、そのような動機がもてない場合、統計上は有効な学習方法を用いるために逆効果だとされていても、関係志向、自尊志向、報酬志向を動機づけにするテクニックもここではあえて推奨したいと考えています。
たとえば、動機が不確かなときは、最近の行動療法の考え方にしたがって、とにかくきちんとスケジュールをつくり、決められたとおりに勉強し、やらないことへの言い訳をしない姿勢が有効といえます。
多少なりとも勉強が進んでくれば理解も進むし、勉強がそれほど苦痛でなくなることは珍しくありません。
たとえ予定どおりにできない日があっても、そこで頓挫するのでなく、翌日はまた勉強に戻るという態度が確実に勉強を進めていくのだということを、あらためて強調しておきたいと思います。
そうはいっても、動機がしっかりしていないと勉強を続けるのは難しいという人も少なくないでしょう。
そんなときは、外発的動機づけの理論をテクニックとして駆使するのが効果的です。
これらの方法には、勉強をすればいいことがあるから行うという単純な報酬士高を使ったアメのやり方や、他者を勉強の動機にする関係志向、自尊志向を満たすやり方などがあります。
また、勉強をやらないことに対するムチを用意するということも有効です。
しかし現実にアメとムチを使うとなるとなにかと不都合も生じるので、イマジネーションを武器にするのもひとつの手です。
「ビジネス心理戦」に勝ち抜く自分、問題解決能力にすぐれた変身後の自分の姿を思い浮かべる一方で、現状から這い上がれない自分、リストラされたみじめな自分を想像するという具合にです。
ただし、想像上のムチをあまりふるいすぎると、将来に対する不安が強くなりすぎて、かえって勉強の邪魔になることがあるかもしれないので、要注意です。
じつは、このやり方は私自身もよく使っています。
どんどん頭が悪くなって落ち目になったり、原稿の締め切りに間に合わずに仕事がこなくなる自分を思い浮かべながら自らに鞭打つことで日々精進できていると考えられるので、その効果のほどは保証できます。
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